こんばんは!
福ろう屋オンライン人力車の三浦翔平です!!
今日は「吉田松陰」について書きたいと思います!
吉田松陰!
「聞いたことはあるけど詳しくは知らない!」
そんな方にぜひ読んでいただきたいですこの投稿!!!
生きる気力が湧きます!
自分も頑張ろうって思えます!
自分も勇気を出して何か挑戦してみようかなと思えます!!
ぜひたくさんの方に読んでいただきたいです♪
今から150年くらい前の幕末という時代。
吉田松陰は長州藩、今でいう山口県で生まれました。
で、この時の有名な話なんですが吉田松陰の叔父さんで玉木文之進という方がいました。
この玉木文之進は藩でも指導されている有名な指導者でした。
この玉木文之進さんが吉田松陰の先生でした。
そんな2人の逸話がありまして、吉田松陰は4才の子供の頃から板間に座らされて難しい論語を効かせられていたのだそうです。
ある夏の暑い日に吉田松陰さんは環文之介の元で勉強をしていました。
吉田松陰の顔にハエが止まりました。
吉田松陰がそのハエを払った瞬間!
玉木文之進さんは吉田松陰の顔面を
「ばこーーーーーーーーーん!!!!!!!!!」
吉田松陰は殴られ庭まで飛んで行ったと。笑
先生は吉田松陰に言いました
「お前が書を読んでいるのは世のため人のためである」
「お前がハエを払い落とすのは私事だ!」
「世のため人のためにと勉強をしている時に私事を挟むとは何事じゃ!」
そんなスーパーエリート教育を受けていました!笑笑
でもこのおかげで吉田松陰は子供の頃から
「そうか、命というものは世のため人のために使うものなんだ」と徹底的に頭に刷り込まれていました。
そんな少年は9才にして藩校で兵学を教えるにまでなりました。
みなさん!イメージしてみてください!
国会で小学4年くらいの少年がとことことこと現れて、首相とか官房長官とかにこんなことをいうんです!「えーじゃあ今日はですね、法律についてしっかり学んでいきたいと思います。」「首相!これちゃんと聞いといてください!」「あとね、法務大臣もここの部分すごく重要なんでしっかり頭に叩き込んでください!」
笑笑
9才の少年が国会でそんな指導をしていたんだそうです。
この少年こそが吉田松陰でございます!!!!
すごいことですよね!
年齢は関係ないと言いますがまさにこのこと!!!!
それからも吉田松陰はこの命をどう日本のために役立てるか!誰のためになんのためにをずーーーーーーーっと考え学び続けました。
その期間なんと15年。
そして彼が24才の時です!!!
ペリーの来航!!!!!
江戸時代の間300年鎖国していた日本にアメリカからどでかい黒船がやってくるんです!
ペリーは「我らと条約をむすんでアメリカのものを買いやがれーーーー!」ときたわけですね!
そして日本国内は真っ二つに割れます
「偉人などうちはらえーーーーー!」VS「いやいや、今は到底敵いっこないから今はとりあえずなかよくいこうぜ!」てな感じ!
そんな状況の中でなんとこの吉田松陰!
ペリーの黒船に単身乗り込んで行ったんです!!!!!
そしてアメリカ人に言いました!
『俺をアメリカに連れて行ってくれ!」
「僕は命をかける覚悟で船に乗り込んだ!」
「アメリカで学びたい!知りたい!」
「偉人はどのように大国を築き上げてきたのかを知りたい!」
「学び、日本の未来に役立てたいんだ!!!」
とんでもない覚悟です!
その場で殺されてもおかしくない状態!
しかし願いは叶わず。。。。
望みを断たれ戻った松陰は北町奉行で取り調べを受け、伝馬町の牢獄へ閉じ込められます。
この時の松陰の名言がこちら!
「かくすれば かくなるものと しりながら やむにやまれぬ 大和魂」
<意訳>
こういう行動をすれば、こういう事になることはわかっていた。それでもやらずにはいられなかった。われら日本の男として。
そんな松陰は牢獄の中でも黙っていなかった!
読書と思索に没頭!!入獄後の半年後には囚人たちの間で読書会が組織されました。
講義を通して獄内の風紀は向上、藩側は驚いたそうです!
藩は松陰の才能を認め病気保養を理由に松陰を実家に戻す事にしました。
そこへ父と兄が登場!
ここめっちゃ面白いです!
父は松陰にこう言いました!
「お前が獄中で行った『孟子』の講義録を読んだ。大したもんじゃ。これを完成させんのは惜しい。どうだ、自宅で講義を続けてみんか?」
これがあの有名な「松下村塾」のはじまりです!
この松下村塾ですが結論から言うと、ここで幼少期に勉強した人間が初代総理大臣になったり日本を動かす逸材になったと言われています。
いやーすごい!
牢獄生活をチャンスに変えた男、吉田松陰!
松陰の松下村塾には続々と、若者が集まりました。
松下村塾の指導には数々の伝説があります!
手を拭くのは服の袖。散髪は2ヶ月に一回。眠気対策は袖捲りをし自ら蚊に刺され、冬は裸足で雪の上で勉強。
とにかく1秒でも長く!そんなストイックな塾だったそうです!
(三浦、こーゆーの嫌いじゃないWWW)
口調は厳しく、仕草は優しく、ある時は塾生を驚かせ、ある時は塾生を大いに笑わせました!
そして吉田松陰は28才の時、幕府を批判します。
「今の幕府、こんままではいけない!」
「ぼくは幕府を倒してでも良い日本を作りたい!」
と言うことを堂々と宣言しました。
当時は監視の目が行き届いていたので疑いの目をかけられます。
「おいおい!お前!いらないことを行っているんじゃないだろうな?」
「幕府に対して異を唱えたり批判したりしてないだろうな?」
という疑惑をかけられます。
この時に松陰は
「いえ、そんなことは申しておりません。」
「私は日本の未来のために正しいことをきちんと言っているだけです。」
と、ごまかすこともできたのですが、
この吉田松陰!こう言ったんです!
「はい!私言いました。」
そこで堂々と自白してしまうんですね!笑
幕府の調査団はざわめきます!
「ん?お前今、自分で言ったと申したな!」
「言ったなら逮捕しなければいかんのだぞ?」
それに対して吉田松陰
「はい!言いました!ぜひ、逮捕してください!投獄してください!」
「僕がこのことを堂々と言って投獄されてもし命が尽きたとしても、それで死ねるなら本望です。これで命を落ちしたとしてもこの姿に僕の生徒たちが勇気をもらうかもしれない!」
「先生は志のために命を使ったんだと知って、彼らの心に火をつけられるかもしれない」
「もしそうなれるのであれば僕は死など何も怖くない!!!」
こんなことを言って自ら自白し自ら牢獄に入ったんです
そして、その翌年
安政の大獄
幕府を批判した人間を集めて処刑が行われました。
そのうちの1人が吉田松陰でした。
しかし、このなくなる時こそが彼の人生最大のハイライトとなるんです!
いよいよ、安政の大獄で今日!打ち首になると言うその日!
牢をでたその時にも、吉田松陰さんは、晴れ晴れとした顔をしていた。
そして辞世の句を読みました
身はたとひ
武蔵野の野辺に朽ちぬとも
留めおかまし
大和魂
今日この身は
この地に散って行くけれども
僕はこの大和魂を永遠にこの地に残して行く
そんな唄を読みました
そして、まさに首を切られるその瞬間に吉田松陰はこう言ったと言います
「ちょっと待ってください!!」
「ちょっとだけ首を落とすのを待ってもらえませんか?」
「日本の!未来のために!」
「今日!今!死んで行けるんだとしたら。」
「こんなに幸せなことはない!」
「こんなに幸せな人生はない!」
「おねがいです。この幸せを、あとひと時だけ味あわせていただけますんか?」
と言って、しばらく空を眺め、満面の笑みで
「では、お願いします。」
と言って。
見たことのない晴れ晴れとした顔で、首をはねられて死んだ。
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想像のできないほどの覚悟。
人の目を気にせず、自分の信念にまっすぐ潔く生きる吉田松陰の生き様に感銘を受けました。
自分の小ささを痛感します。
こんな日本人がいたのだと言うことを忘れちゃいけない!
当たり前のように生きているこの日本は、たくさんの偉人が命をかけて事をなしてきた集大成であって。
決して当たり前ではないんだと気付かされます。
吉田松陰のような大事を成せとまではいかなくても、
今、目の前の事に一生懸命に生きる。
それだけでもきっと吉田松陰のように命をかけて事をなした人たちは、天国で喜んでくれるんじゃないかな?
命、燃やしていこう!
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