こんにちは*\(^o^)/*
福ろう屋オンライン人力車の三浦翔平です😊
オンライン人力車?なんじゃそりゃ?😆
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はい!こちら僕の大好物「浅草あまいろ」さんの天ぷら〜❤️でございます*\(^o^)/*
天ぷら、美味いよね〜🤤❤️
風情ある浅草の街を歩いてると無性に食べたくなったりしませんか?
今日はそんな天ぷらの歴史と豆知識をまとめてみました*\(^o^)/*
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〜目次〜
①天ぷらの伝来
②織田信長も愛した天ぷら
③江戸天ぷらの始まり
④関東大震災で天ぷらは全国へ
⑤太平洋戦争で「贅沢なごちそう」に
⑥現在の天ぷら
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📚まずは歴史から📚
時は室町時代🥷
世界は大航海時代と呼ばれ、ポルトガルは積極的に海外進出を進めていた時代です
そんなポルトガルがいよいよ日本へ🇯🇵
1543年!種子島へポルトガル商人が漂着し、鉄砲の伝来が起こります!この時にポルトガルの料理である天ぷらが日本に伝わったそうです
えーーーーー!日本発祥じゃなかったのねー🤣笑
ショック‼️‼️‼️‼️‼️‼️笑
天ぷらの語源はいくつかあります^ ^
① ポルトガル語の「テンポーラ(temporas)」/四季に行う斎日」が語源という説。
② ポルトガル語で料理という意味の「テンペーロ(tempero)」が転じたという説。
③天麩羅阿希(あぶらあげ)から、漢字の阿希(あげ)を省いた「天麩羅」から「てんぷら」となったという説
などなど!
カトリックでは、四季に行う斎日(テンポーラ)で祈祷と断食を行い、その間は肉食を禁じ、代わりに野菜や魚に小麦粉で衣をつけて揚げた料理を食べていたんだとか
一方、日本の天ぷらの起源とされる「長崎天ぷら」は安土桃山時代に入りポルトガル人が長崎に伝えたと言われています!安土桃山時代には織田信長とかその辺だね^ ^
でも、当時は油がとても貴重なものだったので庶民は決して口にする事ができなかったたそうです!
江戸時代になると油の生産量が増えて庶民の味になっていきます!
当時は日本のファーストフードの原点である屋台!この屋台で天ぷらを食べるのがスタイルでした!
立ち食いそば!ならぬ「立ち食い天ぷら」⭐️
串に刺した天ぷらをおやつ感覚で食べていたそうです!
江戸で広まった江戸天ぷらは、天つゆにつけて食べるスタイルだったそうです!
天つゆスタイルは江戸が発祥なんだね〜🤤❤️
この江戸時代から、現代と同じ形の天ぷらがあったみたいですね^ - ^
庶民の味として知れ渡った天ぷらですが、江戸時代の終わりから明治時代にかけて高級料理へと変わっていきました。
天ぷらの専門店や料亭が登場!
揚げる素材や油の種類、衣にこだわった珍ぷらや銀ぷらが登場。今でいう天ぷらのケータリングスタイルもこの頃に登場したそうです!
また、江戸の料理だった天ぷらが日本全国に広まったのは大正12年(1923)に起こった関東大震災がきっかけと言われています。震災で職を失った職人が全国へ散らばり、そこで東西の職人が江戸の職人と交流した事で広まりました。
全国に広まった天ぷらですが、太平洋戦争の戦時中、食糧不足のため高価な油を使った食事が困難になったため、天ぷらは「贅沢なごちそう」になっていきました!
戦後になると経済の回復に伴い食用油の生産量が急激に増加します。そのため油で揚げる料理は家庭でも簡単に楽しめるようになり、栄養も豊富な天ぷらは日本全国の食卓で食べられるようになりました^ ^
天ぷらの歴史!いかがでしたでしょうか?^ ^
こんな歴史を感じながら食べる天ぷらはいつもと一味違うかもしれませんね?^ ^
是非、浅草へいらした際は日本の歴史を感じながら天ぷらを*\(^o^)/*
僕のおすすめの天ぷら屋「浅草あまいろ」!
僕のお家のような場所でして^ ^苦しい時、辛い時、このお店に行くと元気を貰えます😊
素敵なご夫婦お2人と楽しいお兄さんが笑顔で迎えてくださいます*\(^o^)/*
「浅草は人情の町」そんな言葉がぴったりなあったかいお店です*\(^o^)/*
ランチは1500円でお腹いっぱい美味しい天ぷらが食べられます^ ^
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