観光人力車 福ろう屋
三浦 翔平
Shohei Miura

皆さまはじめまして!このサイトをご覧いただきありがとうございます。​浅草で人力車をやっております三浦翔平と申します。6年前に人力車に出会い、この職に魅了され現在に至ります。世界中の沢山のお客様と出会い、そして沢山の方々に支えられて今がございます。改めてこの場をおかりして感謝申し上げます。お客様と浅草の街があっての人力車でございます。浅草の魅力を世界中の人々に伝えていけるよう!世界中の1人でも多くの人々に感動を届けられるよう、日々努力して参ります。​一生懸命、心を込めてご案内させていただきますので通常人力車・オンライン人力車共にご利用いただけましたら幸いです。

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ストーリー

1993年8月4日に北海道で生まれました。学生時代は野球に没頭。高校2年生の時に東日本大震災が起きました。2歳の時に両親が離婚し母に育ててもらったのですが、宮城に住んでいた父が被災しました。テレビを見ていることしかできない事に悔しくて、「人の命を救う知識と技術を身に付けたい!」という思いで消防士を志しました。高校卒業後、消防士の世界へ。2年ほど務めた頃、沢山の人の死を見てきて命の尊さを考えるようになりました。もっともっと広い世界で人命救助がしたい!海上保安庁に転職することを決意しました。消防士を辞め、1年半毎日15時間の試験勉強生活。母や祖父母や仲間に支えてもらい3度目の試験で見事に合格しました。母と一緒に泣いて喜びました。夢に見た海上保安庁の世界!巡視船の操縦、拳銃の取り扱い、水難訓練といろんな訓練をする日々。しかし、逃げ出してしまいました。海上保安庁を辞めてしまいました。未来にワクワクしなかった。泣きながら新幹線に乗って実家へ帰りました。母は泣いてました。「大切な人を悲しませるのであれば最初から夢や目標は持たない方がいい」そう思い1年半、家に引きこもりました。「人生おしまい。早く終わって欲しい。俺は何をやってもダメなんだ。」と思い込んでいました。

そんな中、人生の転機が訪れました。志を持って仕事を楽しんでいる大人に出会い、自分ももう一度挑戦しようと思う出来事がありました。そんな時に偶然テレビに人力車が写っており、直感で面接の電話をしました。翌日、人生初の浅草!人生初の生の人力車を見ました。人力車に出会い大きく人生が変わりました。今は転職と思っております。次は、過去の私のように落ち込んでいる人を救う側になりたい!そんな思いで人力車を引いております。私の夢に向かって楽しんでいる姿で1人でも沢山の人に勇気を与えることができたら嬉しいです。